長崎に、平戸という港町があります。かつて日本で最初の西洋貿易港として栄え、ポルトガルやオランダ、イギリスとの交流の拠点となった町。古い街並みや石畳、港の風景。異国との交流の歴史が、今も町のあちこちに残っています。
そんな風情のある平戸に、僕には、必ず立ち寄る店があります。新鮮な海鮮と、平戸牛、カスドースの街。でも、おでん屋です。
目次
- 平戸に行ったら、必ず行く店
- いったい、何が人をそこまで動かすのか
- 「また来たい」の、その先
- 人は、何を目的に旅をしているのだろう
- 店は、料理だけを提供しているわけじゃない
- デザインは、店の中だけにあるものではない
- 目立たないのに、目的地になる
平戸に行ったら、必ず行く店
平戸に行くと、僕はその店に行きたくなる。いや、少し違います。
もう、その店に行くために平戸へ行く。そんな感覚に近い。
車で時間をかけて行く。場合によっては、船で半日以上かけて行く。そこまでして向かう店です。
でも、その店は、決して目立つ店ではありません。どこにでもありそうな、昔ながらのおでん屋。派手な看板があるわけでもない。昭和の初期から忘れ去られたような佇まい。「ここに来るために、わざわざ遠くから来ました」と感じさせるような店構えでもありません。それなのに、僕にとっては、平戸に行ったら外せない。
いったい、何が人をそこまで動かすのか
デザインの仕事をしていると、つい「目立つもの」に目が行きます。看板。ロゴ。内装。写真。パッケージ。もちろん、それらは大切です。
でも、このおでん屋に行くたびに思います。人を動かすのは、目立つことだけじゃない。むしろ、ほとんど何も主張していないのに、人を強く惹きつけるものがある。
「また来たい」の、その先
第1号で、良いデザインは必ずしも目立つ必要がない、という話を書きました。この店も、まさにそうです。
店そのものは、街の中に静かに馴染んでいる。でも、僕の中には、はっきりと残っている。そして、「また食べたい。」と思う。
それだけなら、「また来たい店」です。でも、そこから一歩進むと、「この店に行くために、また平戸へ行きたい。」になる。
これは、かなり面白いことです。店が、その土地を訪れる理由のひとつになっている。
人は、何を目的に旅をしているのだろう
旅の目的というと、観光地や名所を思い浮かべます。有名なお寺。美しい景色。歴史的な建物。
でも、実際の旅では、もっと小さなものが目的になることがあります。「あの店に行きたい。」「あの料理をもう一度食べたい。」「あの人に会いたい。」そういう個人的な理由が、旅をつくることがあります。
そして、その記憶は、観光地の写真とは違う形で残っていく。平戸という町の記憶の中に、僕の場合は、そのおでん屋があります。
店は、料理だけを提供しているわけじゃない
おでんを食べる。それだけなら、他にもおでん屋はたくさんあります。それでも、わざわざその店に行く。
そこには、料理の味。店の空気。店主との距離感。カウンターの感じ。その町まで行く時間。店にたどり着いたときの感覚。帰り道の風景。そういうものが全部つながって、ひとつの体験になっているのだと思います。
つまり、僕が好きなのは「おでん」だけではない。その店で過ごす時間そのものなのかもしれません。
デザインは、店の中だけにあるものではない
そう考えると、店のデザインというものも少し違って見えてきます。店のロゴをつくる。看板をつくる。内装を考える。もちろん、それもデザインです。
でも、「この店に行きたい」と思わせるところまで考えるなら、デザインの範囲はもっと広い。その店が街の中でどう存在するのか。どんな記憶を残すのか。その場所に行くまでの時間さえ、体験の一部になるのかもしれません。
目立たないのに、目的地になる
僕がこのおでん屋から感じるのは、デザインの不思議さです。目立っていない。大きな広告を出しているわけでもない。遠くから人を呼び込むような仕掛けがあるわけでもない。それでも、人が来る。しかも、わざわざ来る。
それは、「目立つ」ということより、ずっと強いことなのかもしれません。